my favorite things

この娘、無我夢中につき。

わたしと岡村ちゃん 第4話

社会人になって半年ほど経ったある秋の夜のことでした。
いつものようにリビングのパソコンの前に座った私は、
いつものようにtwitterの画面をなんとなく眺めていました。


岡村靖幸


ふと目に飛び込んできたその単語は、
私をやけにドキッとさせました。
RTで流れてきた、知らない誰かさんのツイート。
ほとんど無意識のまま再生したこの動画が、
“わたしと岡村ちゃん”の物語まで再生してしまうなんて…。




初めて観る“動く岡村ちゃん”でした*1
動画の中で歌い(ちょっと)踊る彼は、今まで目にしてきたどの岡村ちゃんとも違って見えました。
そして何より、この「ぶーしゃかLOOP」という曲!!!
そのリズムや構成の斬新さ、そして中毒性にすっかりやられてしまいました。
熱に浮かされたように何度も動画を再生し続ける私は、
まるで中学生のとき初めて「青年14歳」を聴いた時の私でした。
岡村ちゃん、あなたは何度“わたし”を惑わせるのですか?


そこからはまさにとんとん拍子。
すぐさまオフィシャルサイトに飛んだ私は
年明けに「エチケット+(プラス)」なるツアーがあるらしい!
と知って、その頃のシフトなどわからないくせにチケット抽選に申込み、その後みごとに当選。
ライブなんて生涯で2〜3回しか行ったことのない私が。
岡村ちゃんや彼の曲のことなど、ほんの少ししか知らないこの私が。



【本当に会いたい人には、会えるうちに会いに行くこと】



マイケルとの別れが教えてくれた、大切なこと。
偶然目の前に流れ着いてきた動画と、ツアー前という最高のタイミング。
岡村ちゃんに会いたい!」と思うよりも早く、
手が勝手に動いていたというのが正直なところでした。笑
翌年1月のライブチケットを確保した私はそこから

YouTubeを駆使して毎日のように動画鑑賞
⇒ライブ、PV、いいとものテレフォンショッキングetc..

・家に眠っていたCDを掘り起こして再聴
⇒今まではしたないと毛嫌いしていた「いじわる」の良さに気付く。遅い。笑

・最新アルバム『エチケット(パープル・ピンク両ver.)』を購入
⇒人生で初めて買った岡村ちゃんのCDになりました。

・同じくまだシフトが出ていないのにツアー追加公演のチケット確保
⇒まだ一回もライブ観てないのに!私史上前代未聞。


など、精力的に活動(?)。あいかわらず親に言うのは気恥ずかしく、一人で黙々と。
なぜこんな急に“岡村ちゃんにくびったけ”状態になってしまったのか?
冷静に考えると、今まで聴かず嫌いだった曲を好きになったことと、岡村ちゃんの独特だけどどこか恰好いいダンスにグッときたことが大きいと思います。

前者の代表としては、セクシーな歌詞で幼い私を不快にさせた「いじわる」とか。
今じゃ私のiPod中で再生数No.1に君臨する、大好きな曲なんですけど。笑
同じ理由で聴くことを拒んできた曲に「祈りの季節」「セックス」があります。
これらの曲を<克服>できたのは、完全に『エチケット』というアルバムのおかげでした。
ファンの方々にとってこれらは今も昔も変わらず名曲なのでしょうが、
ファンになる前の私にとっては正直とても取っ付き難い曲でした。
別の曲か?とも思えるほどアップテンポかつ激しくアレンジされたエチケットver.の登場は、私にとって“救世主”でした。
(ってこれ、トリビュートアルバムの時も言ったなw)
私の頑ななまでの<岡村ちゃんコンプレックス>を打ち砕いてくれたのは、十数年後の岡村ちゃん自身だったのです。


初めて岡村ちゃんを知ってから十数年、
初めて岡村ちゃんの曲を聴くようになってから8年…。
まるで失われた時間を取り戻すかのように、
私はがむしゃらに“岡村ちゃん”を追い続けました。
追いつけるはずがなくても、少しでも近づけるようにと願いながら。


それまで「早く〇歳になりたい!」なんてみじんも思ったことがなかったけれど、あの時の私は早く「たぶん23歳」になりたくて仕方のない22歳でした。

*1:ブラマヨの吉田氏にちょっと似てると思ったのは秘密。

わたしと岡村ちゃん 第3話

私は高校2年生になり、部活を引退し、受験勉強を始めました。
大切にしていたMDとプレイヤーは、iPod classicに変わりました。
「ラブ タンバリン」「チャームポイント」「Peach Time」「SUPER GIRL」*1
お気に入りの岡村ちゃんの曲も増えていきました。

良くも悪くも、私の中で岡村ちゃんは<リアリティーのない存在>でした。
テレビやビデオで動く姿を見たことなければ、CDジャケット以外の写真を見たこともない*2
現実世界で彼に起こっていることと、CDに詰まった彼の音楽がうまく繋がらなかったし、繋げる必要もないと思いました。
小さい頃からマイケルに夢中だった私は、こういう“タイムラグ”には慣れっこでした。
状況はいつか好転すること。いいものは変わらないということ。
私は、彼の曲を変わらず聴き続けることで、彼自身を信じることにしました。


私は高校3年生になり、一番行きたかった大学の試験に合格しました*3
大学に入った私は、サークルに入り、また「踊ること」を始めました。
女子校の花園を抜けた私は、そこでちゃんとした恋もしました。
サークル、恋、ときどき勉強。目の前のことにいつだって夢中でした。

暇さえあれば、仲間のいる部活棟で踊ったりおしゃべりをしたり…。
リア充」というものを体感しているうちに、
物理的にひとりでいる時間は減っていき、音楽をゆっくり聴く暇もなくなっていきました。

キャンパス内のベンチで、空き時間にひなたぼっこをしながら。
広い学食の片隅で、ひとりお昼を食べながら。
あの校舎とあの校舎の間を、のんびり歩いて移動しながら。
ひとりでいる時にiPodから流れる音楽は、まるで劇中歌のような感じ。
ときどき流れてくる岡村ちゃんの曲を「懐かしいな」と思いながら、
1番だけ聴いてとばすような、そんな感じ。



そんなある日…というか、忘れもしない、2009年6月26日早朝。
外泊していた私の携帯に母からのメールが。


「マイケル、心肺停止」


短いメールを閉じると、急いでホテルの小さなテレビを点け、意味の解らない言葉を並べるニュースを観ました。
動揺している私に、一緒にいた人が何か言葉をかけてくれましたが、正直何も覚えていません。
その数時間後、大好きなマイケルはこの世からいなくなってしまいました。

バイト先のカフェにに流れるFMラジオ越しの「追悼の曲」も、
帰りの電車の中でサラリーマンが広げているスポーツ紙の一面も、
その日の街中には“信じたくないこと”が溢れ返っていました。
1日ぶりに我が家に戻ると、玄関先で母と泣きながら抱き合いました。

人生最初の彼氏にフラれてしまったのは、それから1か月後でした。
よりによって世界で一番目と二番目に好きな人を奪っていくなんて、
神様はなんてイジワルなんだろうと本気で思いました。

「いつかマイケル・ジャクソンのライブに行く!*4
という私の夢は、夢のまま終わってしまったようです。


この悲しい出来事と引き換えに、私は自分で自分にひとつの約束をしました。


【本当に会いたい人には、会えるうちに会いに行くこと】


この約束を最初に果たす相手が、まさかあの人になるなんて。
彼と劇的な「再会」を果たすまで、あと少し。

*1:「だいすき」に続いて、キュートな曲を発見していった時期。「いじわる」とかは相変わらずムリでした。笑

*2:『DATE』〜『家庭教師』〜『禁じられた生きがい』ジャケットや歌詞カードの写真を見て、これって全部同じ人なの?と疑ったことは数知れず。

*3:その大学に行きたかった理由のひとつは、タモリさんと堺雅人さんの母校だからです。奇しくもお二人とも中退されてますが。笑

*4:3歳の頃、両親に連れられデンジャラスツアー東京公演に行っているものの、ほぼ記憶なし。

わたしと岡村ちゃん 第2話

14歳の私は、なんだかぶっ飛んでいました。
毎度おなじみ流浪の番組タモリ倶楽部空耳アワーでハガキを読まれたのも、まさにこの頃*1
岡村ちゃんの世界に片足…いや、足の指一本だけでも踏み入れることができたのも、私がやっと“14歳”という年齢になったからだったんだと思います。
14歳は、私にとって大人への第一歩でした。


『どんなものでも君にかないやしない』

CDなのになんて長いタイトルなんだ!
いつの間にかリビングのラックに仲間入りしていたそのCDの背表紙?を見るたびに、
そう心の中でツッコミを入れていました。
(真にツッコミを受けるべきは、「青年14歳」以外まともに聴いたことがなく、このタイトルが名曲「カルアミルク」の一節だと気付いていない私なのですが。笑)
長いタイトルにばかり気を取られて気付いていなかったけれど、タイトルの続きには『岡村靖幸トリビュート』の文字が…。

当時、岡村ちゃんのことは好きでも嫌いでもなく、どちらかと言えば相変わらず苦手。
わざわざ聴く理由はどこにもなかったけれど、ただ、ジャケットの中で不敵な笑みを浮かべるお姉さんに「ねぇ、聴かないの?」と言われている気がして…。

訳もわからず聴いてみると…あれれ、岡村ちゃんが……歌ってない!!(当たり前)いわゆるトリビュートアルバムというものを初めて聴いた上に、元の曲を1曲も知らないという奇跡!がしかし、ここでさらなる奇跡が起きちゃったんです。

くるりの「どぉなっちゃってんだよ」にツボり、
朝日美穂の「だいすき」の可愛さにやられ、
栗コーダーカルテットの「友人のふり」を聴き、泣いた。

原曲である岡村ちゃんの歌は、恥ずかしながらどれも聴いたことがありませんでした。
彼の歌い方や声に苦手意識を持っていた私にとって、このアルバムはまさに救世主。
岡村ちゃん、そして彼の音楽を愛する人々の奏でる音楽を通して、
私の中での【岡村ちゃん観】が少しずつ変わり始めていました。

私のMDに、くるりの「どぉなっちゃってんだよ」
栗コーダーカルテットの「友人のふり」*2
Black Bottom Brass Band With Tarzan Boys & Girlsの「ステップUP↑」
そして、朝日さんと岡村ちゃんの「だいすき」が仲間入り。

“野蛮でノーパンで冗談に暮れる 青年14歳”と熱唱していた彼も
“君が大好き あの海辺よりも 大好き 甘いチョコよりも こんなに大事なことはそうはないよ”とやさしく歌う彼も、まぎれもなく同じ岡村ちゃん

どんどんわかっていくようで、なんだかますますわからなくなる。

思わず好きになってしまった「青年14歳」は間違いでも例外でもなく、
そんな彼を「だいすき」になるまでの長い長い旅路のはじまりに過ぎなかったようです。
これが、ようやく岡村ちゃんに対する“第一次反抗期”を終えた頃のお話。


どんなものでも君にかないやしない 岡村靖幸トリビュート

どんなものでも君にかないやしない 岡村靖幸トリビュート

それから、まもなくのことでした。
彼のオフィシャルサイトが閉鎖されたのは。
父と母の悲しそうな顔を見ながら、私はどんな顔をしていいかわかりませんでした。
彼のCDを手に取ったこと、彼の曲を秘かに聴いていること、その曲が好きなこと…
全部ぜんぶ、パパやママやみんなには内緒でした。
あの日の夜、素知らぬ顔をした私は、パソコンに映る画面の紫色をただ黙って見つめていました。
16歳になったばかりの、春のことでした。

*1:大好きなマイケルの曲からひどい下ネタを見つけ出し、タモさんに「14歳…こりゃ将来が楽しみだね!」と言わしめたのは一生の自慢です。もらったの手ぬぐいだけど。

*2:原曲を聴いたら、歌詞があってそれが嫌でこっちしか入れなかった記憶あり。これに関しては聴く順番を間違えたと思いますw

わたしと岡村ちゃん 第1話

“たぶん23歳”な私と、“だいすき”な岡村ちゃんの話をします。
(あまりにも長いので、今回は私が中学生になるくらいまで。)


「どぉーなっちゃってんだよー♪」
父と母が時折口ずさむ、ひどく不思議な日本語とメロディー。
「どういうこと」でも「どうなってるの」でもなく、「どぉなっちゃってんだよ」。
当時幼稚園児か、もうちょっと幼いぐらいの私は、その言葉を聞くたび律儀に「なにそれ?」と尋ねていました。

父母「ん?これはね、岡村ちゃんの歌だよ」
わたし「……ふーん?(理解も納得もしていない)」

何度訊いても答えは同じ。それ以上でも、以下でもなく。
これが岡村ちゃんにまつわる、もっとも古い記憶。


時が少し経って、私は小学生になりました。
この頃の私は、両親の影響もあり<マイケル・ジャクソン>にくびったけ。
お風呂場にシャンプーをまき散らしてムーンウォークの練習をしたり、
仲良くなった友達を次々と家に招いては、スリラーのビデオ鑑賞会を開くぐらい*1

父の仕事の関係で、我が家にはCDが山ほどありました。
暇さえあればマイケルのビデオを観て、マイケルのCDを聴く毎日。
ただ数年もすると、さすがの私もマイケルはお腹いっぱい状態に…。
そんな時、ラックの中でふと目に留まったのが【岡村靖幸】の文字。

「あ、この人が“岡村ちゃん”…?」

頭の片隅に残っていたかすかな記憶と、目の前のCDが繋がった瞬間でした。
まずわかったことは、岡村ちゃんは男の人だったということ。笑
あと、CDを聴いてみて抱いた感想は「気持ち悪い、無理」…以上*2。苦笑
小学生の私には、岡村ちゃんは早すぎたようでした。
これが私が岡村ちゃんに抱いた、勝手な第一印象の話。ほんとすみませんw


中学生に上がると、電車通学が始まりました。
ポータブルMDプレイヤーという魔法のような道具を手に入れた私は、
お気に入りの音楽だけを詰め込んだマイMDの制作に没頭。
何を思ったのか、あれだけ拒否反応を示した岡村ちゃんのCDを再聴してみることに…

「うん……無理!!!
※以下、男女交際などしたことがない垢抜けない女子中学生が、アルバム『DATE』および『家庭教師』を聴いて率直に抱いた感想です。悪気は全くないのですが、先に謝っておきます。本当にすみません…。

「DATE」冒頭のくさいセリフやねちっこい歌い方、時折出てくるKissだのSexだのといういかがわしい歌詞*3、「家庭教師」に溢れる喘ぎ声と妖しすぎる空気感…。
今の私にとって「だが、それがいい」的要素であるすべてに対しての超絶なる拒否反応。

やっぱり私、岡村ちゃん無理だわ…と投げやり気味に聴いた『禁じられた生きがい』。
「あばれ太鼓」を聴きながら、マイケルの「Black or White」に似すぎだろ…などと毒づいているうちに事件は起こったのです。

ホイッスルのピッピー!という音でハッとした私の耳に、今まで聴いたことのない類のメロディーが流れ星のように滑り込んで来たのです。
あれだけ気持ち悪がっていた岡村ちゃんの声もシャウトもすべてがかっこよく聞こえる。
……っていうか何この曲めちゃくちゃ格好いいんですけど!!!!!

私ってばおかしくなっちゃったのか!?と動揺している間に曲が終わりかけ、反射的にすぐまた同じ曲を掛け直して…の繰り返し。
その日のうちに、マイケルやアイドルの曲に紛れて、その1曲だけを一番お気に入りのMDに入れました。
通学時、あの曲が流れる度に勝手にドキドキしていたものです。
自分だけ、誰も知らない(そんな訳ないんですが、まぁ当時の気分的にw)すごい曲をこっそり聴いているような気がして。

あの日あの時、幸か不幸か「青年14歳」を聴いてしまった、少女14歳。
これが、初めて岡村ちゃんの音楽を好きになった、思い出の瞬間。

(つづく)

DATE

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家庭教師

家庭教師

禁じられた生きがい

禁じられた生きがい

*1:嗚呼、わたし小1の頃から何も変わってないんだなぁ…。

*2:『DATE』だけさらっと聴いてリタイアしたように記憶しています。軽くトラウマになりましたw

*3:「祈りの季節」の性生活なんて単語には発狂しそうになりました。当時の私、思春期こじらせすぎ。