わたしと岡村ちゃん 第3話
私は高校2年生になり、部活を引退し、受験勉強を始めました。
大切にしていたMDとプレイヤーは、iPod classicに変わりました。
「ラブ タンバリン」「チャームポイント」「Peach Time」「SUPER GIRL」*1
お気に入りの岡村ちゃんの曲も増えていきました。
良くも悪くも、私の中で岡村ちゃんは<リアリティーのない存在>でした。
テレビやビデオで動く姿を見たことなければ、CDジャケット以外の写真を見たこともない*2。
現実世界で彼に起こっていることと、CDに詰まった彼の音楽がうまく繋がらなかったし、繋げる必要もないと思いました。
小さい頃からマイケルに夢中だった私は、こういう“タイムラグ”には慣れっこでした。
状況はいつか好転すること。いいものは変わらないということ。
私は、彼の曲を変わらず聴き続けることで、彼自身を信じることにしました。
私は高校3年生になり、一番行きたかった大学の試験に合格しました*3。
大学に入った私は、サークルに入り、また「踊ること」を始めました。
女子校の花園を抜けた私は、そこでちゃんとした恋もしました。
サークル、恋、ときどき勉強。目の前のことにいつだって夢中でした。
暇さえあれば、仲間のいる部活棟で踊ったりおしゃべりをしたり…。
「リア充」というものを体感しているうちに、
物理的にひとりでいる時間は減っていき、音楽をゆっくり聴く暇もなくなっていきました。
キャンパス内のベンチで、空き時間にひなたぼっこをしながら。
広い学食の片隅で、ひとりお昼を食べながら。
あの校舎とあの校舎の間を、のんびり歩いて移動しながら。
ひとりでいる時にiPodから流れる音楽は、まるで劇中歌のような感じ。
ときどき流れてくる岡村ちゃんの曲を「懐かしいな」と思いながら、
1番だけ聴いてとばすような、そんな感じ。
そんなある日…というか、忘れもしない、2009年6月26日早朝。
外泊していた私の携帯に母からのメールが。
「マイケル、心肺停止」
短いメールを閉じると、急いでホテルの小さなテレビを点け、意味の解らない言葉を並べるニュースを観ました。
動揺している私に、一緒にいた人が何か言葉をかけてくれましたが、正直何も覚えていません。
その数時間後、大好きなマイケルはこの世からいなくなってしまいました。
バイト先のカフェにに流れるFMラジオ越しの「追悼の曲」も、
帰りの電車の中でサラリーマンが広げているスポーツ紙の一面も、
その日の街中には“信じたくないこと”が溢れ返っていました。
1日ぶりに我が家に戻ると、玄関先で母と泣きながら抱き合いました。
人生最初の彼氏にフラれてしまったのは、それから1か月後でした。
よりによって世界で一番目と二番目に好きな人を奪っていくなんて、
神様はなんてイジワルなんだろうと本気で思いました。
「いつかマイケル・ジャクソンのライブに行く!*4」
という私の夢は、夢のまま終わってしまったようです。
この悲しい出来事と引き換えに、私は自分で自分にひとつの約束をしました。
【本当に会いたい人には、会えるうちに会いに行くこと】
この約束を最初に果たす相手が、まさかあの人になるなんて。
彼と劇的な「再会」を果たすまで、あと少し。